Colors
「あなたは色が白いから、きっとよく映えるわよ」
そう言って、貴女は好んで赤い色の服ばかりを私に着せたがりました。
「ほら、鏡を見てごらん。地味な色より、やっぱりこちらのほうがよく似合う」
貴女はそう言って、楽しげにころころと笑いました。
赤い色は嫌いです。
赤い色は。
私にとって。
あまりにも生き生きとして、眩しすぎるのです。
ひとひらの憂鬱と、たくさんの優しさを含んだ、深く静かな海の群青。
それが私の本当に好きな色なのです。
だけど。
人生の節目節目に纏わされる色は、全て貴女が選んだ赤でした。
色褪せたアルバムの中の私は、いつも作り笑いを浮かべていました。
自分ではない、他の誰かを演じていました。
中学の制服は嫌いではありませんでした。
濃紺に、白いラインが入ったセーラー服。
ただ、スカーフの色は嫌いでした。
少し黒味を帯びた、深い赤い色のスカーフ。
毎朝スカーフを結ぶたびに思うのです。
嫌いな色で、毎朝首下を括らなければならないなんて。
ああ、なんて嫌なんでしょう。
学校自体も好きにはなれませんでした。
表面上はにこにこ仲良くふるまっているように見えても、裏に回れば陰口や噂話の繰り返し。
あの頃の私は、人間が大嫌いでした。
放課後は誰よりも早く教室を飛び出して、近所の神社に逃げ込んでいました。
人気の全くない、緑に囲まれた古い神社の境内。
そこだけが唯一、私が落ち着いて過ごせる空間でした。
時折聞こえてくる鳥の鳴き声をBGMがわりに私は広縁に寝っ転がって、図書室から借りてきた本をぼんやりと読んだり、ノートに落書きをしたりしながら夕方まで過ごしました。
家に帰りたくなかったのです。
家に帰れば、貴女は私のために紅茶を淹れて、焼いたばかりのクッキーを出してくれるでしょう。
微笑みを浮かべて、今日学校で起こったことを、面白おかしく話してくれるでしょう。
貴女が見ている世界と私が見ている世界は、どうしてこんなに違うのでしょう。
いっそ世界と共に、貴女のことも嫌いになれればよかったのに。
私のような無機質で冷たい、灰色の世界で暮らしているものの気持ちが貴女にわかるはずがないのです。
姉さん。
大好きで、大嫌いな姉さん。
美しくて、明るくて、頭が良くて、活発な貴女は。
私にとっては金色の、太陽のような存在だったのです。
平凡な容姿で、真面目だけが取り柄の、私とは違う。
「高望みするな」「お前には無難な人生がちょうどいいんだ」
両親からそう言われ続けてきた私は、凡庸な才能しかない自分が「やりたいことをやる」のは、いけないことなのだと思っていました。
大人になった今でさえ
「思い上がるな」
「何様だと思っている?」
と言われるたびに
「自分がこんなことを望むのは間違っているのでは?」
と打ちのめされるときがあります。
絵描きになりたい。
それが私の夢でした。
自分の絵がうまいなどと、思ってはいません。
言葉を使うことが苦手。そんな私にとって、唯一気持ちが吐き出せる方法だったのです。
白い紙と向き合っているときだけ、私の心は穏やかでした。
いじけきった私の運命を変えた出会いは、図書室にありました。
いつものように、図書室に本を返しに行ったあの日。
受付に座っていたのは、君でした。
「ふーん、ボードレールね。暗くならない?これ読んで」
私が返却した『惡の華』を見て、小馬鹿にするように君は意地の悪い微笑みを浮かべましたね。
いつもの私ならば、完全に無視するはず。
だけど。
この日だけは、サラリと流すことができませんでした。
「どんな本を借りようが、私の勝手でしょう?君にそんなこと言われる筋合いはないわ」
私の言葉に、君はニヤリと笑いました。
くりくりとした黒くて丸い目が、糸のように細くなりました。
「別に悪いなんて言ってないじゃん。詩集ばっか借りてるやつって目立つから、おちょくってみただけ。お前さん、面白いやつだなって思って」
「面白いって……!!」
イヤなやつ。
本当に腹が立つ。
大っ嫌い。
だけど……。
君は私が図書室に行くたびに、何かと絡んできましたね。
目に染みるほど鮮やかな黄色いパーカーを。悪びれる様子もなく堂々と着こなして。
生意気で、態度が大きくて。
それなのに。
私の好きそうな詩集を進めてきたり。
私の落書きを
「いいじゃん、それ!」
と褒めそやしたり。
いつしか君の存在は。どう呼べばいいのかわからないくらいに、私の中で大きく膨れ上がっていました。
自分よりも年下の男の子に、心を乱されるなんてありえない。
なのに。
気がついたら私は、君と電話番号を交換して、しょっちゅうやり取りする仲になっていたのです。
君が私の家に押しかけてきたあの日。
帰り際に、君はいきなり私の頬に口付けを落としました。
何が起こったのか、全く理解が追いつきませんでした。
記憶に残っているのは。
桜色に上気した君の頬の色と。
柔らかな唇の感触。
オレンジ色の夕陽を、二人で並んで見ていたあの日。
私は戸惑いながら。君の頬に唇を寄せようとしました。
頬に寄せるだけのつもりだった唇は。
どういうわけか、お互いの唇に重なりました。
私は酷く驚いてしまい、逃げるように走って家に帰ってしまいました。
いったいどう振る舞えばいいのかわからなかったのです。
ありえない。
私から口付けをするなんて。
あれが……私のファーストキス?
緑の稲が、風に薫る夏の夕暮れの田舎道は。
未熟な稲穂がさらさらと風にそよぐ音だけが大きく響いていました。
私は彼を遠ざけました。
彼からの度重なる連絡を一方的に無視し続けました。
「何なんだよ、一体。わけわかんねぇよ!」
最後に彼の言い放った言葉は。私の胸に深く突き刺さりました。
私の幼すぎた恋は。
そのまま終わりを告げました。
誰かを好きになることは、誰かを傷つけることだと、私はこのとき初めて知りました。
日毎に大きくなり続ける、ぐるぐると怪しい渦を巻く感情を、私は持て余し続けていました。
私は学校が終わるとすぐに家に帰って部屋に引きこもり、大きな白いスケッチブックに何枚も絵を書き綴りました。
紫を基調とした、ぐしゃぐしゃとした乱雑な線に。
赤。
群青。
濃紺。
白。
臙脂。
緑。
灰色。
金。
黒。
黄色。
桜色。
橙色。
それらの色を、次から次へと塗り重ねていきました。
色を重ねていくたびに。
私の心に積み重なっていた重しは、少しづつ軽くなっていきました。
完成した、いくつもの絵は。
私の恋みたいでした。
ドロドロで、ぐちゃぐちゃで。
それなのに、なぜか愛しくて。切なくて。
描いている最中はあんなに苦しかったのに。
まるで憑き物が落ちたかのように、私の心は穏やかでした。
君はやはり、私にとってどうしようもないくらい、特別な人だったのだと。
忘れたくないことの全てが、この絵に詰まっているのだということを実感しました。
私は完成した絵を──。
一枚、また一枚と。
破り捨てました。
身勝手だった自分や。
幼すぎた恋と決別するために。
かつて『絵』だったものは。
小さな、小さな色とりどりの破片になりました。
私はそれらを拾い集めて、まとめてゴミ箱に放り込みました。
こんなことをしたところで、何かが劇的に変わるわけじゃない。
それくらいはわかっています。
だけど。
今のままの私ではダメだと思ったのです。
今度は好意を素直に受け止められる人になりたい。
そして。
誰かに優しい気持ちを、送れる人になりたい。
自分のせいで誰かが傷つくようなことは、もう二度としたくない。
そんな誓いを込めて。
私は全ての絵を破り捨てました。
私は少しずつ、自分から周りに溶け込めるように努力しました。
持って生まれた気質は変えられない。
だけど、行動くらいならば変えられるはず。それすら拒否していたら、何も始まらない。
そう思ったのです。
初めは戸惑っていた周囲の人たちでしたが。
「ありがとう」
私の口からその言葉が増えて行くたびに、皆が優しい表情に変わる。
それまで私が知らなかった色に、世界は変わり始めました。
今の私は、君に出会えたことでほんの少しだけ、優しい人に変わることが出来ました。
たまに心無い言葉に傷ついて、凹んでしまうことも、
失敗して落ち込んでしまうこともあるけれど。
それでも、あの頃より。
強くなれたと思います。
赤いポストに、合同同窓会の返信を入れながら、私は願います。
どうか君に、もう一度出会って、感謝の気持ちを伝えることができますようにと。
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