私と猫のやまとと
それは、実家に里帰りしていた、春の日のことだった。
田舎の決して大きくはないアウトレットスーパーセンター。
「みーみーみー」
そこのペットコーナーで仔猫の鳴き声がした。
まだ幼いと思われる、小さな小さな仔猫の鳴き声。
━━━おかしい、ここでは猫はあつかっていないはず━━━
鳴き声のするほうに人のいないレジ裏を見つけ、そっとのぞいた。
そこには可愛らしい3匹のさばトラの仔猫がいた。
一旦自宅に帰ったわたしだが、3匹の仔猫のことは気がかりだった。
一週間ほどたった日、わたしはまた里帰りしていた。
買い物をする店は仔猫の声のしたスーパーセンターくらいしかない。仔猫がいないことを願って買い物に出かけた。
先日の鳴き声が聞こえてきた場所に立った。
もう仔猫の鳴き声はしない。わたしは安心して歩き出した。
しかし、この前のレジ裏に近づいていくと、また鳴き声がするのだ。
「みーみーみー」
コツコツコツ。
わたしは周囲を歩いた。
遠ざかると鳴くのを止め、近づくとまた鳴きだす。
この仔猫たちはわかっているのだ。
近寄ってくる足音は自分たちの元へと来る。
遠ざかる足音は自分たちの元へは来ない。
こんなに小さいのに
「あきらめる」ことを分かっている。体で知っている。
この一生懸命生きている「命」に可哀想は失礼かもしれない。
しかし、わたしには可哀想という言葉しかでてこなかった。
よくよく見ればドライフードをふやかしたエサは凝り固まっており、どうみても不味そうだ。
━━━まだミルクや離乳食が必要な月齢じゃないの?━━
わたしは怒りがわきおこった。
しかし、この店で働いている方の好意で何とか生き長らえているのは事実。働きながらではミルクも離乳食も与えることはできない。
引き取りたい。
わたしはそう思った。
もう一度、しっかりと仔猫の顔をのぞき込む。
雄か雌かもわからないさばトラの仔猫。
「迎えに来るからね」
自分自身の誓いを声にだし、わたしはその場を後にした。
その夜のこと。わたしは主人に仔猫を引きとりたいと言った。
仔猫を見た日に、実家の近くに可愛らしい仔猫がいた。と話していたわたしに主人は
「言い出すと思っていたよ」
と笑った。
問題はすでにうちには先住猫がいたことだった。名前を「かすり」といい、かなり神経質な猫だった。
「大丈夫かな?」
「まだ若いから大丈夫だろ?元々2匹で飼っていたんだし」
そう、前にはもう1匹いたのだ。前には。
結婚したばかりの頃、わたしたちはしばらく子供を作る気はなかった。特に避妊していたわけでもない。授かりものだからと呑気にしていた。
そんな時。
知人から、野良猫が自宅で子供を産んだ。という話を聞いた。
仔猫…飼いたい…さぞかし可愛いだろう…
すぐさま、わたしは主人に相談した。
「飼ってもいいよ?」
あっさりと許可はおりた。
可愛いだろう、という期待が裏切られることも知らずに。
「本当にお願いしていいの?」
倉庫で野良猫が仔猫を産んで困っているはずのおばさんはためらっていた。
いいですよ、とわたしはその人にゲージを渡した。
翌日。
受け取ったゲージをのぞきこんでわたしは固まった。
とても可愛らしいキジトラの仔猫と、とてもじゃないけど可愛らしいとは言えないぶちの仔猫がゲージの中にいた。
わたしを見るおばさんの目はとても申し訳なさそうだった。
飼ってしまえば可愛くなるもの、わたしは半分自分に言い聞かせ、連れて帰った。
主人と2人で名を決める。
「ほとんど白と黒だね」
「絣と紬……はどうかな?」
「ほほう、奥さん。コレはまた古風な名前を……」
「おかしいかな?」
「いいんじゃない、頑張れよ。ママ!」
これが子供ならば、わたし1人で頑張れとは主人も言わなかったであろう。
1ヶ月、わたしのミルクやりは続いた。
ミルクの次は離乳食。睡眠不足は続いたが楽しかった。
主人も協力してくれる。もともと可愛らしい顔立ちの紬はもちろん、絣も可愛らしくてたまらなかった。
わたしと主人、絣と紬。2人と2匹の生活。
面白いことに、先に仔猫たちにメロメロになったのは主人の方だった。
絣ちゃん、紬ちゃん、と溺愛し、まさに猫可愛がりした。
わたしはその様子を微笑ましく見ていた。
すくすくと大きくなっていく紬と絣。
大きくなるにつれ贔屓目ではなしに綺麗な猫に育っていく絣の成長ぶりは見とれるほどだった。
もうすぐ一年を迎えるといった頃だった。
紬が体調を崩した。
尿道炎だった。去勢手術をするとかかりやすい病気らしい。
ろくに看病もしてないのに儚く逝ってしまった。
私たちは泣いて泣いて、さざんかの下に埋めた。
残された絣を抱きしめ、わたしは泣いた。
絣は綺麗な猫に成長した。
なかなかに気性のはっきりした猫で、わたし達が外出で帰宅が遅くなると、冷蔵庫の上から怒った顔で文句を言う。
わたしは絣に向かって答える。
「絣ちゃん、怒っているのはわかるけど、あんたの言葉はわかんないよ?」
ひと通り文句を言うと満足したようで、冷蔵庫から降りて甘える。
冬の夜は布団に入ってきた。
だが、入ってくる場所は大きな問題で、わたしの足の間だった。
絣は紬がいなくなった分まで、わたし達に甘えた。
少なくともわたしはそう感じた。
紬と絣。
残された絣に2匹分の愛情をそそいだ。
そこには、可愛いとは言えなかったぶちの仔猫の姿はなかった。
美しく育った成猫がそこにいた。
つむぎ。
つむぎ。
つむぎちゃん。
虹の橋の向こうでわたし達を見ててね。
絣ちゃんを見守ってね。
しかし、やはりこの2匹は兄弟だった。
紬が逝って一年。
そんなころだ。わたしは仔猫たちに出会った。
最初に見かけたときは3匹いた仔猫は2匹になっていた。どうやら里親が決まったらしい。
わたしは主人と一緒にゲージを抱えて仔猫のもとに行った。
わたし達夫婦の他に、小学生くらいの男の子とその母親らしき人がいた。母親と思われる女性は今ひとつ乗り気でないようだ。
男の子は一生懸命説得しようとしていた。
よほど飼いたいらしい。
わたしは仔猫の顔を見つめた。
さばトラ2匹。しかし1匹は鼻に模様が入っていて、ちょっと愛嬌があった。
愛嬌と言えば聞こえが良いが、悪くいえば、とぼけているような顔に見えたのだ。
わたしは瞬時に思った。
ダメ。この仔を残しちゃダメ。
わたし達がこの仔を抱き上げると、もう1匹を大事そうに抱えて男の子は消えていった。
母親はどうやらわたし達の選んだ仔猫の方をお気に召さなかったようだ。
わたし達はその仔猫を大事に抱え家に連れて帰った。
「名前、何にしようか?」
「紬二号!」
「ごめん、それはちょっと……」
私は夫に苦笑する。
その年は世界的なイベントが日本で行われる年だった。
「日本」
「やまと?」
「そう、日本と書いて『やまと』」
「……」
夫は何も言わなかった。
わたしは日本に語りかけた。
「よろしくね、日本」
こうして無事、日本はわたし達の家族になった。
わたし達夫婦と、絣にやまと。
二匹の猫がじゃれる。転がる。部屋の中を走り回る。
幸せな数年だった。
ある冬の日のこと、わたしは、ふと絣の顔色が気になった。何となく白っぽい。人間で言うなら顔色が悪い。
「ねぇ、何となくだけど絣の顔色が悪くない?」
「そうか?俺にはわからんが……」
「いや、悪いでしょ。週末、病院に連れていこ?」
こうして、わたし達は絣を病院へ連れていった。
顔色は悪いが、風邪をひいているわけでもなく、下痢をしているけでもなく。まだ四歳と若いが、医者は可能性が無いわけではないから、と血液検査をすすめてくれた。
結果は肝臓と腎臓が悪くなっている、と言うことだった。
医者の、あまり歓迎できない予想は当たった。
絣の闘病生活が始まった。
月一の診察。毎日の投薬。
三ヶ月に一回は血液検査。
最初こそ嫌がったものの、絣は血液検査を嫌がらなくなった。
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