天才君と凡人先生

 剣と魔法の異世界といえば、急に湧いて出て好き勝手やらかす転生者が定番だ。

 しかし、残念ながらこの世界には過去数十世紀に渡って転生者が存在しなかった。ファンタジーにありがちな長命種等も存在しなかったため、もはや転生者という存在自体が歴史から消え去りつつある状態だ。

 しかしどんな世界にも単騎で世間を引っ掻き回す輩は存在するもので、転生者のいないこの世界ではそんな奴は現地人の中から現れる。

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 だから、世界中から凶悪犯を集めて収監しているここ、エリュシラドン大監獄の囚人たちももちろん全員が現地人だ。

「いやあ、なんかこう、ここは毎日代わり映えしなくて飽きるね!」
 今日も一つの島を丸ごと覆うように建てられた堅牢な牢獄の一室で、ある収監者が元気な声で愚痴っていた。
「監獄なんだから当たり前だろォがよそんなこと。アホか。」
 声を上げた囚人の向かいの牢から呆れたような声が返る。

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「まあ、そうなんだけどねえ。たまには何かあってもいいと思うわけだよ僕は。」
 あっけらかんと返した方の囚人は、肩口で切り揃えた黒髪と金色の吊り目が特徴的な白衣の人物で、この監獄に来てから未だ数ヶ月の新人である。
 その容貌は中性的で、実際性別は不詳だ。殆ど牢から出ることさえ許されない生活である以上性別ぐらいすぐに知れそうなものだが、実際は向かいの牢の囚人も未だにこの囚人の性別が分かっていない。

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「いやいや、その何かがあっちゃ不味いんだって…………善良な一般市民サマからしたら。」
 そして苦笑混じりに言う、白衣の人物の向かいの牢の囚人はこの監獄では古株である。
 乾いた血の色のがさついた髪を適当に伸ばし、いかにも凶暴そうな赤眼をぎらつかせる風体はなるほど、いかにも凶悪犯めいている。脂肪の殆ど無い筋肉質な痩躯も、その貫禄に一役買っていた。

「俺らからしたら確かに、嬉しいけどなァ。」

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 常人が見れば縮み上がりそうな表情でくつくつと笑う相方を見て、白衣の囚人は動じもせずに小さく眉を上げた。
「おやおや?君も娑婆で暴れ足りないって手合いなのかい?天才君。」
 その金の瞳には悪戯っぽい、それでいてどこか攻撃的な気配が渦巻いている。

「それともこう言った方がいいかな?」

「六桁を越す犠牲者を殺害し、文字通り屍山血河を築いた、史上最悪の無差別殺人鬼───────血の魔王ジェノ君?」

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 挑発的に、どこか罪を白日の元に晒す法の番人のように言い放った白衣の囚人にジェノが返したのは、嘲るような哄笑だった。

「ヒャハハハハハハハハァ!よく言うなァ!テメェだってこの監獄島の最深部にブチ込まれやがったイカレ野郎の癖にヨォ!ここまで厳重なトコに入れられた奴ァ俺とアンタしか居ねえんだぜ?!同じ穴の狢だろォがよ凡人先生!!」

 血走った眼をぎょろつかせ、唇が所々裂けるほど口角を上げて嗤う。

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 この世の狂気の全てを凝縮したような悍ましい嗤い声に、白衣の囚人はぴりり、と小さく眉根を寄せた。
「…………僕のような凡人を君のような真性の天才と一緒にしないで欲しいね天才君。」
 ぽつり、と発せられた言葉は、苦々しさをいつもの謎めいた態度で取り繕おうとして失敗したような酷く歪な雰囲気を纏っている。

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 当然、その歪みをジェノが見逃す筈はない。
 にたり、と嗤いをますます深くして、通路に面した鉄格子の際まで顔を近付ける。
「ヒヒッ、話を逸らすんじゃァねェよ!なァ、アンタは何をやってここに来たんだ?アンタ、ここに来てもう数ヶ月になるのに自分の名前すら俺に教えてくれねえじゃねえか。俺は大スターだから、アンタは俺の名前だけじゃなくやったことの詳細まで知ってるってのに。不公平だよなァ?んん?」

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「…………僕は凡人なんだ、天才君相手にはそのくらいのハンデがないと駄目だろう。寧ろ公平だよ。」
 ジェノの言葉に小さく表情を歪めたのは一瞬、白衣の囚人は直ぐにそう開き直ってみせた。

 その態度にぴりり、とジェノの表情が引き攣る。
「ヘェ」

 鮮血が鮮やかに宙を舞った。

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 鮮やかな鮮血が、牢の間を繋ぐように奔った。

 少し草臥れた、白い白衣に真紅の染みが広がっていく。

「……………よく言うぜ。」

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「今のを避けられる時点でアンタ、凡人の域には収まらねえだろ?」
 肩口から肉を突き破って生やした血の棘がただの血に戻って行くのを眺めながらジェノは嗤う。
 彼が血の魔王と呼ばれる所以である、血液を操るオリジナル魔法で白衣の囚人を攻撃したようだ。

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「いやいや、君と比べれば十分凡人だとも。その首輪を付けられて尚、動けるどころか攻撃魔法まで使えるなんて規格外過ぎるだろう。」
 攻撃を受けた白衣の囚人は、自身の頸動脈を狙った血の棘を軽く身体を傾けて躱した体勢のまま笑い返した。

 白衣の囚人の言う通り、彼らの首には黒いチョーカーが巻かれている。阻害魔法がこれでもかと刻まれた強力な魔道具で、常人なら付けられた時点で指一本動かせなくなるような代物だ。

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「そう言うアンタも普通に動いてるじゃねえか……。しかも、ここは死刑にしたいがどうやっても殺せない奴を封印するための房だろうが。」
 規格外はお互い様だ、とジェノは揶揄うように言いながら、血を使い過ぎたのか小さくよろめいた。

「攻撃まではできんよ。せいぜい生活魔法程度だ。」
 白衣の囚人はそれには目もくれず、肩を竦めて血まみれの白衣を魔法で洗浄している。

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 血に染まった白衣を清めながら、白衣の囚人は小さく皮肉げに笑った。
「まあ、僕を君の向かいに入れた奴らからしたら、僕と天才君に互いに殺し合って共倒れして欲しかったんだろうけどね。」

「ああ、バケモノ同士戦わせて始末したかったんだろうな。…………一度攻撃するだけで貧血の俺と何故か攻撃する気がない凡人先生じゃ無理だろうけど。」
 ふらつきながら牢の片隅にある粗末な身体に腰掛けてジェノが言う。

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 と、そこでそれぞれの牢の中心にある魔法陣が淡く光り始めた。

「お、飯だぜ凡人先生!今日も不味いンだろうけどな!」

 ジェノが心なしか弾んだ声で言う通り、これは一日に数度食事が転送されてくる一方通行の転移魔法陣である。彼らは牢に直接食事を渡しにいくにも危険であると見做されているため、この牢にはここだけで生活が完結するよう、無駄に高度な技術が使われているのだ。

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 暫くして発光が収まった魔法陣の中心には、粗雑な作りの木のトレーが出現していた。トレーの上には野菜と雑穀を適当に煮て塩を入れただけのスープの器と焼いただけの肉の皿、干からびた黒パンが置かれている。どれも大した量はない。

 お世辞にも美味そうとは言えないが、食料はこれしかないので二人共大人しく食べ始めた。
「うーん、粗食だねぇ……。」
 筋っぽくて硬い上に臭い謎肉を咀嚼しながら白衣の囚人が愚痴る。

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「これしかねえんだから仕方ねェだろ……あーでも、俺も甘いモンは食いたいなァ…………。」
 渋い顔で生煮えの野菜を咀嚼しつつ、悲しげに言うジェノ。この監獄の食事は大量殺人鬼をして哀愁を漂わせるほどに不味いのである。特に甘味の欠乏は致命的だった。実は甘党なジェノにはかなり堪える。

「ふむ、甘党の気持ちは分からんが……僕も偶には香辛料たっぷりの激辛料理とか食べたいね…………。」
 因みにこちらは辛党。

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 二人は沈痛な面持ちのまま食事を終え、使い終わった食器やトレーを壁に取り付けられたダストシュートに放り込む。尚、ダストシュートは無理をすれば人間が通れなくもない程度の大きさだが、破砕機に直通なので脱出路には使えない。

 そのまま特に楽しくもない食事を終えて一息ついたところで、白衣の囚人が口を開いた。

「なあ天才君。僕と一緒に

      ────────脱獄しないかい?」

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 ジェノはその言葉に、小さく目を見開いた。この監獄の警備は優秀で、ジェノでさえ脱獄は不可能だと判断していたほどなのだから。

「…………へェ?勝算があンのかよ?あと、この独房監視されてるだろ。」

 しかし、不可能であると判断しただけで諦めている訳でもない。そう返しながら、いつでも魔法による監視を妨害できるよう妨害魔力を放つ準備を始める。

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「ああ、方法については言えないが勝算はあるぞ。」

 大真面目に言ったあと、白衣の囚人はにやり、と悪どい笑みを浮かべる。

「と言うか、言う必要もない。」

 瞬間、大監獄を物理的な激震が襲った。

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 突如襲い来る揺れに、ジェノはよろめいて壁に縋った。

「ッ?!アンタ何しやがった?!」
 そう、向かいの牢の囚人に問うたのは話の流れからこの揺れが白衣の囚人の想定内だったと推測したからだ。

 そんな彼に、当の白衣の囚人は涼しい顔で牢の鉄格子に掴まりながら答えを返した。
「何も?ただ昔の仕込みが漸く功を奏したというだけだよ天才君。元々は全く関係無い計画だ。偶然、脱獄に利用できそうだがな。」

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「偶々って……取り敢えず何が起こってやがるのか教えろ凡人先生。最深部のここでこの揺れだ、外じゃ何が起こってるのか想像もつかねェからなァ!」
 響き始めた地鳴りにかき消されぬよう、半ば怒鳴るようにして問いかけながらもジェノの口角は不気味に吊り上がり、真っ赤な舌がべろりと唇を掠める。
 ここに何年もエリュシラドン大監獄最深部に箱詰めだった彼は、この異常事態に興奮を覚えているようだった。

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「平たく言えばありとあらゆる天変地異が世界各地で同時多発しているよ。この揺れからして、ここでは大地震でも起こってるんじゃないかな?」

 なんでもないように告げられた言葉にジェノの頬が引き攣るように動き、彼はけたたましく哄笑した。
「ヒャハハハハハハッ!なんだよそれ!どうやって仕込んだんだそんなん!ヤベェなアンタ!つーかそれつまり、この監獄を物理的にぶっ壊すって事だよな?!それ俺たち潰れねえ?!」

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「潰れるだろうね。…………力を制限されたままなら。」
 白衣の囚人がそう言った次の瞬間、彼らを体内が滅茶苦茶に掻き回されるような感覚と猛烈な吐き気が襲う。
 この世界の人間なら誰もが生まれつき保有し、無意識に体内を循環させている体内魔力の流れが強引な干渉を受けたのだ。このまま体内魔力のバランスが崩れ過ぎれば身体が爆発四散するという嫌な死に方をする羽目になるため非常に危険な状態である。

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 勿論、体内魔力がこのような状態になることは極めて稀──────例えば大陸規模で魔力という魔力が荒れ狂うような、大規模な魔力災害に巻き込まれた時ぐらいである。

「が、ァ……ッ?!ありとあらゆる天変地異、って魔力災害もなのかよォ!ウェッ……ますますパネエな!」
 滅茶苦茶な動きをしようとする体内魔力を制御しようと奮闘するジェノの額には大粒の脂汗が浮いているが、その唇は愉しげに弧を描いたままだ。

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 一方で白衣の囚人の方は、体内魔力のバランスが崩れたことによる猛烈な吐き気に蹲っている。
「ォェ……はは、は、これでも当初の計画よりは小規模ウゲッ……………って天才君割と余裕そうだね?!ゥエ……凡人の僕には…キツいよ…………。」

 因みに、本来ならこのレベルの魔力災害に巻き込まれた場合、魔力制御に長けた者でも十秒と持たずに爆散する羽目になる。それが吐き気で蹲る程度で済んでいる時点で規格外である。

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